2020.09.13じゅんぶろ・ほのぼのとーく
予想不可能でも、人生を止めない
こんにちは。
Edu Support Office 川上淳子です。
沖縄の美ら海水族館、HQM60606によるpixabay画像。
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本日の午後は日本アンガーマネジメント協会東北支部&九州沖縄支部合同の勉強会に参加いたします。
私の出身は九州の大分県。
今回の勉強会は望郷の念を抱きながら参加します。オンライン会議システムで遠く九州沖縄地方の皆さまと繋げてくださった東北支部役員の方々のご尽力に感謝してもしきれないくらいです。新型コロナウイルス感染拡大がもたらしたのは禍ばかりではなく、可能の「可」。本当にありがたいことです。
アンガーマネジメントに出合ったからこその新しい展開。コロナ禍があったからこそ経験、人生のコマの一つ一つを止めてはいけませんね。
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お時間がありましたら、私の帰郷の思い出にお付き合いくださいませ。
私が3歳のころ、両親は東北へ橋梁やダム、港湾建設の仕事を求め、故郷を後にしました。
これまでに4度帰郷しました。
小学校4年生の夏、両親と双子の私たちと下の妹の家族5人で帰りました。
山の中腹にある父の実家から駆け下りると、すぐに海。泳いでいた青色の魚を見た瞬間、南国の生まれだったのだということを子ども心に新鮮に感じたことを覚えています。
その当時住んでいた静岡県から大阪まで新幹線、そこからフェリーで大分へ。下の妹はこの直後、風邪をこじらせて通院し、後にネフローゼと診断され、2年3カ月以上にわたり4つの病院での闘病生活を経て亡くなりました。「フェリーで虫に刺されたことがよくなかった」と、母は帰省したことを後悔していました。
中学校1年生の春、母と妹と3人で祖父の葬儀に参列するため、岩手県から帰郷し、合わせて前年に夭折した妹の遺骨を父方のお墓に預かってもらうことになりました。
東海道新幹線で遺骨の入った包みを通路を挟んだ席にいた妹に渡そうとしたら、妹の後ろの席のおじさんが包みを掴もうとしたので「お骨です」と言ったら引かれました。どうして手を出したのかが不思議で、隙あらば持っていこうとしたのかとドン引き。荷物に手を出されたのはこれが最初、これからもないでしょう。納骨より鮮明に残っている思い出です。
母の父は旧姓織田守さん、織田家の方でした。「織田家の家紋入りの提灯をもって婿入りしてきた」と母は自慢げに何度も話していました。一億分の一でも織田信長の血が流れているのではとかすかなご縁を誇りに感じています。還暦の月に上梓できたことも母方の強さが影響しているのではないかと密かに思っています。
母が織田のことを言い続けていたので、戒名に「織」を入れていただきました。生前に戒名を決めていたら、生きるはりにもなり、長生きできたのではないかとつまらない想像をしています。
祖父は脳溢血で中学生の私たちには顔を見せないようお面をつけて納棺されていたので、祖父は写真の記憶しかありません。
28歳ごろ、夏休みを利用して一人で飛行機で出かけました。広島「原爆の日」、別府在住の母方のいとこの子どもたちの登校に同行し、原爆の授業を参観させてもらいました。東北では休み中の登校日がなく、まして、教科外で原爆を取り上げないため、原爆に対して地域による差が大きいことを感じました。温泉県大分は長崎で被爆した方々の療養、保養の地とのこと。東北とは背景が異なるのでした。
私たちの誕生後お世話をしてくださっていたご夫婦が私の帰郷を聞きつけて、車で別府まで迎えに来てくれました。高千穂の観光後、坂道を上っているとき、涙があふれてきて「この峠を下りると故郷だ」と直感しました。「もうすぐ着くよ」と言われなかったのに、鮭が故郷の川に戻っていくような感覚、嗅覚に我ながら驚きました。
最後は1990年、両親と妹の骨上げに出かけました。小さな骨壺の蓋が外れ、斜めにひっくり返っていました。私たちが何不自由なく暮らしていた20年余り、寂しく置いておかれていたことが不憫でなりませんでした。
両親はなおさら辛かったことでしょう。別府から大分空港に向かうホバークラフトに乗っていたときの両親の安堵した表情がすべてを物語っていました。すでに自分たちの最期が近いことを悟っての帰郷だったのでしょう。私たちに迷惑をかけないように親としての仕事を最後までやり遂げていたのです。十府の里(利府町)の立派なお墓に納骨し、私の結婚や出産を見届けると次々に病に倒れました。わずか7年しか過ごせなかった末娘と空白の時間を埋めるように静かに眠っています。
皆さまの故郷はどちらでしょうか。ご両親やご家族との思い出が尽きないことと思います。
今、置かれているところでがんばっていることがご両親や故郷への恩返しになりますね。
どのように予想不可能なことがあっても、人生を止めずに進んでまいりましょう。
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一般社団法人日本アンガーマネジメント協会
アンガーマネジメントトレーニングプロフェッショナル
https://www.angermanagement.co.jp/facilitetor/2115
元国立大学法人宮城教育大学教育学部非常勤講師
元宮城県公立小学校教員
Edu Support Office
代表 川上淳子
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