2019.11.08じゅんぶろ・ほのぼのとーく
夭折した妹の命日、たった一人で過ごしたかった。。

こんにちは。
Edu Support Office 川上淳子です。
今日の「junblo⁺」は、「夭折した妹の命日、たった一人で過ごしたかった。。」。
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朝からこんなお話で失礼いたします。
11月7日は小学校2年生で夭折した妹の命日でした。当時、私は小学校6年生。
お墓参りをし、その後、松島へ。たった一人で過ごしたかったのです。
今、思うと何もわからないまま、死に装束の天冠てんかん・てんがん(三角巾)をしている姿が怖くて震えていたり、火葬場の窓から煉獄の炎で荼毘に付されている様子を母に「見ろ」と言われて見たことが本当に恐ろしかったり、恐怖だけが心に刻まれていたのでした。
小学生の私は自分のことでいっぱいいっぱいで、当時、母がどんなにか末娘を失って悲しんでいるかに思いを寄せることができずにいました。母もまた、残された子どもたちの悲しみや恐怖にまで手が届かずにいました。
それが無理からぬことで、母の悲しみの深さは自分が子育てをして、ようやくわかりました。
妹は今、生きていれば満58歳。
2年3カ月余りの闘病生活はすさまじいものでした。ネフローゼという重い腎臓の病。当時は透析の技術がなかったので溜まった腹水を何度も何度もお腹を切って抜いていました。酸素テントに入ったときには近寄ることもできず、遠くから見て「はかない命だ」と何度も感じましたが、そのたびに乗り切りました。私と妹は血液型が合いましたが小さかったので輸血ができず、母は自分の血液型を恨み、悲しみをさらに深くしていました。
次から次へと症状が悪化していき、何の楽しみもないまま、逝ってしまって、とてもとても悲しかったのです。
ぬち どぅ たから
「命は宝」という沖縄の言葉があります。「幼くして逝ってしまった人は命の大切さを教える役割があるのだ」と朝ドラの『ちゅらさん』で、おばあが兄を失った弟に語っていました。
「あなたの命は宝、かけがえのない人」という思いで接することが夭折した人を見送った私たちの役割なのかもしれません。
そんなことを思いながら、松島にある「西行戻りの松」のすぐそばにある喫茶店「Le Roman」へ。
震災後、お店を閉じ、同じオーナーさんが4年前に店名を変えて復活されたそうです。がんばっておられて嬉しかったです。
あいにくの曇天、天気のよい日に伺ってみます。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
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一般社団法人日本アンガーマネジメント協会
アンガーマネジメントコンサルタント™
国立大学法人宮城教育大学教育学部非常勤講師
元宮城県公立小学校教員
Edu Support Office
代表 川上淳子
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